高校退学までのパソの勉強遍歴 前編 ーシリーズ「中卒」東大生、合格への道程 第2回ー

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パソ

ご無沙汰しております。パソです!

前回の記事をまだお読みでない方は、まずは前回分を読んでくださいね!

今回は高校一年までにどんな勉強をしていたのか、綴っていきたいと思います。前編・後編に分けてお話しします。

前編は、小学校時代までどの程度の熱量と分量で学習を進めてきたかについて。

後編では、当時の勉強を振り返り、より詳細な分析、今だからこそ思う反省点、モチベーション維持などにまつわるTipsなどを提示できればと思っています。

受験を一年以上先に控えている人は、東大合格までの軌跡の一例として、自分の状況と差分を取りながら「あー、受験ってこんな感じなのね」という感覚を持ってもらえると嬉しいです。

では、大学受験とはあまり関係のない(?)中学時代から触れていきますね!

目次

小学生・中学生時代

高卒前夜、つまり高校一年間の話をする前に、まずはその基礎となった小学校・中学校時代について触れておきたいと思います。
(この章は受験にあまり関係ないので、読み飛ばしてもらってもかまいません)

育った環境ですが、実家はちょっと行けば田んぼが広がっているような田舎にあります。
実質的に選択できる公立高校が5校ほど、最寄の私立中学まで電車で1時間半、最寄りの東進は片道30分という、大学受験という観点から見るとすこぶる良いとはなかなか言えない環境にあります。

どんな子どもだったかというと、まああまりいい子ではなかったです。
テストなんかは名前書いてちょっとだけ埋めて残り時間で漫画読んでいるような、「勉強はしていない」普通の子って感じでした。

その後、一番仲の良かった子が中学受験をするから僕も!みたいなノリで、一年間だけ塾にいかずに週三日だけ勉強するようになりました。
まあこれでは合格するわけもなく、受験したのはたしか日能研での偏差値表示が42の中学校でしたが、見事に滑ってしまいました。
その結果、地元の公立中学に進学しました。明らかにエリートコースからは外れています。

中学時代、素行に関しては、不良ではないけどいい子でもないといった感じでした。

提出物を出す意味が全く分からず、毎度毎度出さない。でも、授業にはちゃんと出ていてちゃんと聞く。
きっと扱いづらい生徒だったと思います。
正直中高大とあまり変わってなくて(高校は実質一年間だけですけど、笑)、三つ子の魂ってやつだなと実感します。

成績に関しては、中学受験の勉強が生きてきたのか(週三日しかしてないけど笑)、中学ではある程度の成績を取れるようになりました。中1では校内二十位前後、中2以降は常時校内の十傑にいるくらいにはなっていました。

高校受験対策として地元の塾に通っていて、週に2度の授業(英数)+週3回自習に通っていました(と言いつつ、自習は友達とおしゃべりするために通っていたわけですが、笑)

この頃から大学受験当日まで得意科目はずっと英語。英語に関してはほとんどずっと満点近かったと記憶しています(ただの記憶の美化な気もしますが、笑)

この頃から、当時から都会に行きたいという欲が強く、神戸に行きたいという思いもあってそれが実現できる公立高校を選び、進学しました(最終的に東大を志望した理由の一つに「東京にあるから」ということがあるのですが、都会に行きたいと思ったのはこの頃です)。

高校のレベル感としては、地元のトップ校や名前の聞いたことのある有名私立校では全くありません。
関関同立がボリューム層で、トップが慶応や阪大、数年に一度京大も出るかな(ということは、東大はまず出ない)くらいの「自称進学校」です。

高校入学から夏休み

高校入学から4月が終わるくらいまでの間に、人生を左右した二つの大きな出来事がありました。

野球部に入部したこと」と「高校版学歴コンプレックスを発症したこと」です。
いやあ、これが笑いごとではなく、その後のパソを変えてしまう大きな出来事だったのです!笑

野球部って結構練習きついんですよね笑
毎年甲子園がニュースに流れるたびに、練習のキツさを思い出して泣きそうになるくらいきつかったです。しかもほぼ休みがない。

その一方で学歴コンプレックスを発症したパソマソマソ氏、勉強のモチベーションが異常に高いわけです。

ところが、この時期の東進の模試で横浜国立大Z判定を叩き出した
流石に横国なら高い判定がでるだろうと高を括っていたおかげで、なかなかにショックでした(Z判定は「科目不足」を意味することを知ったのはその後のことでした笑)。

そして、おしりに火のついたパソ氏は、次の日には東進に入るのでした。

一年生にして一橋または早慶に目標を定め、日が暮れるまでは野球部の練習、十時まで勉強、十一時帰宅、翌朝六時起床みたいな生活を始めました。
高1の1学期にこの生活をこなしていたのは、今思い返せば狂気の沙汰ですね笑

そんなこんなで夏休みに入るも、成績は特に上がることなく、練習ばかりがハードになる始末。しかも練習中に怪我を負ってしまい、ラントレ・筋トレだけ参加して他は補助、みたいな不満の溜まりまくる生活を送っていました。

そして、ある日頭の中で「プチン」と音がするわけです。

パソ

もうこれ限界やな

同級生は引き止めてくれたものの、最後は快く送り出してくれました。監督は「お前はもう来んでいい」と、わざとなのか、ボクが悔しがるような言い方をして追い出してくださいました。これが案外「勉強しないと」という意欲を掻き立ててくれたようで、それからは高1にして受験生顔負けの勉強量をこなすようになりました。

退部後〜春、そしてコロナ禍へ

退部後の夏休みは、毎日東進の自習室にこもっていました。
1日6時間机に向かい、往復の電車の2時間は単語帳に励み、合計で8時間くらい勉強していました(改めて言葉にしてみると、なかなか狂気の沙汰ですやん笑)

記憶にある娯楽といえば映画「天気の子」を2回観に行ったことくらいです。
懐かしいですね、あの話めちゃくちゃ好きで…おっと話が脱線しそうでしたが、案外脱線でもないのです。天気の子を見た後、どうしても東京に行きたくなり、大学巡りと称して東京旅行に行かせてもらいました。
そこで東大本郷キャンパスに一目惚れするわけです。

実際にキャンパス見に行くのはモチベーションを高めるには効果絶大だと思います。現に僕はそれで志望校を東大にしました。

ただ、当時周りからは「お前何言ってるん?」扱い。まともに取り合ってもらえませんでした。

それでさらに火がつき、2学期以降は平日3時間プラス電車往復中の2時間、休日は6時間プラス電車往復中の2時間勉強するようになりました。

当時の学習進捗具合は、以下の通りです。

英語

  • 文法を一通り終了(学校で配布された総合英語『DUAL SCOPE』(数研出版)がメイン)
  • 『ターゲット1900』(旺文社)終了
  • 『やっておきたい300』『やっておきたい500』(河合出版)終了

数学

  • 12月時点で数Ⅱ「三角関数」に到達(東進の講座+青チャートにて)
  • 翌5月、教科書レベルの数Ⅱ「微積分」まで終了(東進の講座+青チャートにて)

この時期に英数に集中して勉強したこと苦手な数学から逃げなかったことが結果として正解だったと思っています。

苦手でも何でも、「嫌いにならない範囲で(←結構大事)」ちゃんとやりこむことが、国公立では、特に勝負を決める英数に関しては大事だと思います。
英数からは逃げないで下さいね

最後は少し説教臭くなりましたが、高一までの勉強履歴はこんな感じです。

僕の場合は相当極端ですが、ご自身の進捗具合などと照らし合わせながら、「がんばろ」と思うきっかけになってもらえれば嬉しいです!

後編では、中学から高1までの勉強の仕方の分析・反省、そして現役中学生・高1生へのTipsを示せたらと思っています!
高1時点の模試データも晒していきますので、是非是非読んでください!!!

Author パソマソマソ
東京大学文科Ⅰ類 1年 
Twitter: @Pasomasomaso_
公立高校を1年で中退し高卒認定から現役で東大合格という異色の経歴の持ち主。
東大模試ではA判定の常連で、9回中8回がA判定。
東大オープンでは総合で42位、67位など2桁順位を連発。数学は75/80点で5位を取ったことも。
とてもよく気遣いのできる好青年で、受験生に寄り添えるTAとして最適の人材である。
オプスタからの熱烈なスカウトを快諾し、オプスタTAとして参加する。

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